北岸ズクナ師

You can't disappoint me, I can't disappoint me either.
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私向けかも

楽器演奏をあきらめた人に救いの手をさしのべようと、日本旅行は夏休みシーズンの8月、「楽器挫折者救済合宿」と題したツアーを開催、参加者15人を募集している。

asahi.com:楽器挫折者お助けツアー ミュージシャン指導で2泊3日 - 暮らし



思えば、3歳から10歳まで習ったピアノは止めたと共に驚きの速度で弾けなくなり、中学生のときに雑誌の裏表紙に載っていた通販で買ったアコギも、「F」で挫折。早すぎ。ライトゲージに替えて再挑戦!みたいなことを思いつくだけの知恵もなかった。

高校生になると、始終ロックの話ばかりしていた4人組の1人に「悪気なくはめられ」ベースを弾くことに。

ある女の子バンドがうちの高校の文化祭で演奏することになったが、学校外のメンバーは出演できない。ということで友人(ベース弾けないが父親がベースを持っている)に声がかかった。

その友人は驚くことに「友達にベース弾ける子がいるの!」と私を紹介したらしい。もちろん私はベースを弾けないし、持ってもいない。
その友人は父親の「年代ものっぽいフェンダーのベース」をハードケース付き(すごく重い)で貸してくれた。

私はまさか「弾ける」ことになっているとは知らずに「バンドに入れてもらえるなんて、アラ!光栄」と気軽に「立派すぎるベース」を持ってスタジオに出かけた。

「弾ける」子が来ると思っていたそのバンドの面々もさぞかし驚きだったことだろう。触るのも初めての子がやってきて。

そのバンドは当時横浜 Hot waveという高校生バンドのコンテストで決勝に勝ち残っていたぐらいなので、音楽的には好みではなかったが実力はそれなりのものだった。

スタジオに入ると、「譜面がない」ことを知らされる。文化祭までろくに日がないのに、カセットテープを渡されそれをコピーしろという虎の子を崖から落とすような厳しさだ。更にテープのない曲は、学校外のメンバーである本物のベーシストが弾くのを見ながら弾くという、文字通り「見よう見まね」であった。

乗りかかった船、私が匙を投げても誰が受け取ってくれるわけでもないので、死力を尽くして頑張ったおかげで、私の人生で一番楽器演奏の力がついた数週間だった。

スタジオで過ごすのが楽しくなってきたので、その後もちまちまバンドに入れてもらって何やら弾かせてもらったが、自分の楽器を買うに至らなかったので、そのとき限りの練習となり、今となっては何も残ってない悲しい現実。

オットに「そのうち楽器を買うよ」などと言っているが、いつになることやら。
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