北岸ズクナ師

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20世紀型の授業

小学五年生の娘の宿題を見ていて改めて感じるのは、問題のくだらなさ。特に社会科はこれが顕著で、未だに「○×工業地域」などという言葉を覚えさせている。娘が成人する頃にゴーストタウン化していないのがどれくらい残っているのだろう。20世紀型の授業をいつまで続ければ気が済むのだろう。

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小飼弾さんが、私がしばしば感じていた事をすっきり言してくれていて、嬉しい~。

北岸市営図書館には、日本語の蔵書もあるんだけど、なぜかロバート・キヨサキの和訳本が充実している。日本では読んだことなかったんだけど、急に身近な本となる。彼の本にも

ビジネスの世界で「時間のずれ」が一番大きい業種は教育と建設だ。ここで言う時間のずれとは、新しいアイディアの着想と、それが業界に受け入れられるまでの時間のことを指す。コンピュータ業界では、この時間のずれはおよそ1年だ。航空宇宙産業の場合は2年、つまり新しいアイディアが生み出され、それが業界に受け入れられて応用されるまでに2年しかかからない。教育業界と建設業界では、この時間のずれがおよそ50年ある。教育システムが時代に追いつき、産業時代が終わったという認識に達することを待ち望んでいる人のためにあらかじめ言っておくが、それは2040年まで無理なような気がする。子供に昔ながらの学校をやめさせ、家で教育する道を選ぶ親がこんなに増えている理由の一つはここにある。
金持ち父さんの金持ちになるガイドブック ロバート・キヨサキ


と書いてあって、その時もそうだなぁ~と同感してメモってあった。

毎年毎年「○×工業地域」を教えていれば、先生はラクだなぁ。でもそれってどれぐらい教わる子供達のためになるのかなぁ。
何十年も続いてきた教え方や内容には、それなりの理由や実績があるんだろうとは思うんだけど。


うちの娘の場合は、ひらがなは2歳で読めるようになったけど、書くのはしばらくかかった。早めに始めて、ゆっくり行こう-と決めていたので、気長にやってきた。

でも、日本で暮らしていないから、日本で教育受ける子供達よりリソースが少ない。もともと「従来型」に疑問を抱いていたので、ちょっと変えてみることにした。

まずカタカナは教えなかった。教えなかったけど、アンパンマンの歌詞カードでだいぶ覚えてしまった。でもちゃんと教えてないので、書き順も適当だし、時々デタラメのこともある。
(脱線するが、私は「ヲ」と書くとき、「フ」と書いて横棒を足すように教わった記憶があるが、娘の教材には二本横線を書いて「ノ」という書き順になっていた)

カタカナは教えないで漢字にジャンプしてしまった。
当初の理由は、まずボキャブラリーが増えた方が、何かと楽しいし役立つと思ったから。
例えばの話だが、「ハ」という文字はHAという音を現すけど、それだけ。でも「歯」とか「刃」とか「葉」は音も意味も表す。3つ語彙が増えることになる。
またただの一本横棒の「一」だって、意味を持つ。「一」など、どう考えたって、ひらがなの「ぬ」や「あ」より読み書きを覚えやすい。ついでに中国語でも使える。お得な感じ(笑)。

尚、後日気付いたのだが、カタカナが大体書けるようになっても、外来語の発音が英語の発音と違うため、その部分も教えないといけない。
例えばFAMILYをいう言葉を、娘がカタカナ表記すると「ファーマリー」だったりする。FAMILYは「ファミリー」には聞こえないとは思うが、「ファミリー」と書くんだよ、という事も教える必要があった。これは日本で国語を教えている場合には、必要のない部分だ。
あと、こちらに暮らす日本人の子供達が言いがちなのが「インターネットに乗る」。こういった直訳的な日本語も多いので、それを教えるのも含まれてくる。
どんどん従来型の教え方から遠ざかる。

最近、私が北京語を教わっているのをうけて、娘が「私もやりたい!」と言うので、ちょうど娘の親友も以前北京語を教わっていて、中断してしまっていたので、二人で教わり始めることになった。

テキストを見てみると、漢字の出てくる順序がけっこう日本と似ている。
「一から十」とか「大小」などが最初の方にでてきて、段々「水」とか「米」とかがでてきて、「高低長短」あたりへと続く。

期せず、漢字のおさらいも出来てしまう。お得な感じ(笑)。
娘にとってはおさらいでも、一緒に教わっているキウイの友達は明らかに大変そう。。。漢字なんてなんじゃらほいの世界。
中国語を習いながら、ついでに漢字のおさらいもしてしまうのも、従来型の教え方からかけ離れているかも。というか、ものすごい相乗効果を目の当たりにして、こうしないのがもったいない、とも思える

娘は天才肌ではないので、何事にもそれなりの時間と努力が必要。なので、貴重なリソースを無駄遣いしないように、有効活用しないとと思うのです。

それで話が戻るけど、例えば日本の英語の授業など、英語の先生の雇用を守るためにあるのか?と思うほど、子どものリソースの無駄遣いをしていると思えたりします。それでも「読み」ができるようになるだけ、まだいいのですが、費やす時間が莫大な割に。。。
また、一つ目の外国語もそんな状況だというのに、高校を出て進学すると、第二外国語が必修だったりする場合がけっこうあります。これまた、第二外国語の先生の雇用を守るためにあるのか?と思ったりします。どれか一つでいいから、使えるようになった方が、二つ目に手を伸ばして、どちらも~というよりいいと思うんだけど。多言語習得が得意な人は、勝手にそうすればいいけど、今の日本では極めて少数派なんじゃないのかな。ムダを全部省いたところで、味気ないですが、かと言って、何十年も続いているものを、少しぐらい変えた方がいい所ないかな、って考えないのかしら。ってたまに変えてみると「ゆとり」になってしまう。減った分を補うため、子どもは塾通いに忙しくなってしまい、ゆとりは先生のためのもの?となる。

NZは、他の先進諸国と全く別の算数教授法を始めて、「変える勇気」はすばらしい。が、今回のNUMERACY PROJECTは失敗かもねぇ。

弾さんが「娘が成人する頃」と書いているように、その頃の世の中を想像してみる。「自分が子どもの頃」に重要だったことで、今も重要なこともあるけど、そうでないこともあるのと同じように。

難しいところです、20世紀型の授業からの脱皮。。。

author : zukunashi | comments (0) | trackbacks (0)

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