SimpleBoxes

「格好いい」という原動力と足りない英語力

On Off and Beyond: 気合いでアメリカ大手半導体企業で働くに至った藤野さんの話で紹介されていた「努力はチャンスで報われる!」(part 1, part 2, part 3) を読みました。

藤野さんの行動力がすごい。

駅でガイジンを見たら

「オレの助けを求めてる」

と決め付けて話しかけること

努力はチャンスで報われる!(2/3)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー

これだけの行動力があれば、別に日本・アメリカに限らず、どこでも生活できそうな気がします。

若干、前後しますが、

初めてアメリカ本社のエンジニアへ送った英語のメールの返事は「I can not understand」

努力はチャンスで報われる!(2/3)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー

メールではなく電話ですが、私も実際言われたことあります。「悔しい」とか「恥ずかしい」とか、その時は思わなかったと思います。何しろこっちは冷や汗かきながらテンパっていましたら。

「回路設計は格好いい」

と思うようになった。さらに、

「ハードウェアが無いとソフトウェアは存在しないからハードウェアの方が格好いい」

とも考える。(今ではソフトウェアが無いとハードウェアはタダの箱と痛感しているそうだ)。

努力はチャンスで報われる!(1/3)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー

格好いい」と思うことが藤野さんの原動力になっているような印象を受けました。

ともすれば「自己陶酔」とも捉えかねない「格好いい」という気持ちは、私にとっても原動力になることが多く、モチベーションを保つのに大事なことだと思っています。

  • 「ニュージーランドという国」が気に入った
  • 「日本という枠に囚われることなく生活するスキル」を身につけたいという意識
  • 「日本から抜け出したい」という当時のややネガティブな心理状況
  • 「他人とは少し違うことをする」のが格好いいと思う自己陶酔的な意識

ニュージーランドに住むということ

で挙げた、四番目。平たく言うと「海外でばりばり生活している俺ってすげ〜」ってことです。

自分の中で「〜できて、俺ってすごくない?」をあえて意識することで自分を鼓舞するのは案外やっているような気がします。

もっとも、ここでぶっちゃけるのは恥ずかしい……ってのは、自意識過剰ですね。はい。

「自分がわからないことを教えてもらうのに席に呼びつけたり、あまりに叱られてばかりでかわいそうだからと『こんな風にメールを書けば』と下書きまでしてあげたのに勝手に直して出してまたボロボロに言われていたり・・・。別にみんなが優秀なわけでは全然ないのに、とにかく態度がでかいです」

努力はチャンスで報われる!(3/3)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー

これは私も何度か感じたことはありました。態度が大きいというか「俺はこんな仕事を (あるいは、こんな給料で) やるような器じゃない」と言う人はいました。

もちろん、控えめすぎるのも問題です。私は自分自身控えめだとはあまり思っていないのですが、それでも上司に「大人しすぎる。もっと自分の意見を積極的に言ってほしい」と指摘されたことがあります。

もっとも私の場合、「控えめである」からというより、英語力がなくて周りについていくのに労力が取られてしまうから、というのが主な要因であるような気がします。

「日本でちゃんとやれている技術者は、シリコンバレーでも十分に通用します。もっとたくさんの人にチャレンジしてみて欲しいと思います。」

努力はチャンスで報われる!(3/3)|渡辺千賀のはたらけシリコンバレー

これは実感しています。

私はシリコンバレーで働いた経験はありませんが、「英語圏」という括りで考えて「日本でちゃんとやれている技術者は、英語圏で十分に通用する」と思っています。

私自身が英語に対してコンプレックスを持っていて「英語圏で働くのかなりつらそう」って思っていた時期がありました。実際、英語圏で生活していく上で、英語が必要になる場面はもちろんあります。

しかしながら、求められる水準は技術力や行動力を上回ることはないような気がします。

もっとも私の場合、足りない英語力をかなり嫁さんに補ってもらったりしているので、人よりはるかに恵まれているのは否定できません。

また、足りない英語力は持っている技術力でカバーできる場面が多いというのもポイントです。その逆は難しいような気がします。

例えば、私が足りない英語力を補うひとつの方法として「コードを見せる」ことがあります。

会社の中で「〜という機能を実装したいんだけど、どこを見たらいいかな」という質問は、私のところに来る中でも多い質問のひとつです。

私はこの手の質問が来ると、多くの場合、当たりをつけて「ここら辺を見るといいよ」と相手にコードを見せます。

私はあまり意識していなかったのですが、ある開発者から「タクヤはすぐにコードを探し当てる。全てを把握しているに違いないと思うね」と言われたことがあります。質問されてから的確にソースを提示するのが速いんだそうです。

私がコードを見せることで、相手は「おっ」と思ってくれます (多分)。そう思ってくれるとこっちのペースで、拙い英語はあまり意識されません。

もし「英語が……」というので、引っかかっているのであれば、もったいないなぁと思います。

スポンサーリンク

<< 豚インフルエンザ報道における情報誤差 :: Re: プログラマはそれを看過できない >>