ニュージーランドに住むということ
- 2007.12.13 Thursday
- life
よぉく聞かれる質問のひとつに「どうしてニュージーランドに移住しようと思ったのですか」というのがあります。
直接は関係ないのですが、「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法を始めたとした一連の「好きを貫くということ」をつらつらと眺めていて、ふと思い出したことでもあります。
複数の要因があって、
- 「ニュージーランドという国」が気に入った
- 「日本という枠に囚われることなく生活するスキル」を身につけたいという意識
- 「日本から抜け出したい」という当時のややネガティブな心理状況
- 「他人とは少し違うことをする」のが格好いいと思う自己陶酔的な意識
などが挙げられるでしょうか。
「自分のスキルが海外でどの程度通用するか」という興味もなくはありませんでしたが、上述の理由に比べれば微々たる意識だったように思います。
「ニュージーランドという国」には、「自然が豊か」「治安が比較的良い」「地政学的にホットな場所ではない」など地理的・政治的な面での魅力があります。それと共に個人的に強く感じたのは、ライフスタイル (ワークスタイル) のあり方でした。
家族や個人に対しての考え方というか、システム的な違いを感じることがあります。
例えば、うちの会社では、年次有休以外に「病欠」が別枠であり、有休とは別に利用できます。
この「病欠」は個人の風邪や怪我はもちろん、家族の風邪や怪我に対しても利用できます。つまり「うちの嫁さんが風邪引いてしまったので、病欠します」というのが、普通に理解されます。それが「当たり前」だと皆が思っています。
考えてみるまでもなく、パートナーが家族内での役割 (例えば、家事など) をこなしてくれるからこそ、私が会社に来れるわけです。このシステムは理にかなっていると思いますし、私や嫁さんの感覚にもぴったりと合います。
「Re: 仕事は7.5時間で終わらせる」で触れた通り、忙しくなってくると、休出する場合もありますが、基本的には日頃の残業もほぼなく、自分のペースで仕事をします。また、それで回るようにスケジュールを調整します。
結果、家族や個人に利用できる時間が増えます。ニュージーランドに来ることなく日本で働いていたら、sb/Serene Bach は生まれなかった可能性が高いような気がします。
もちろん、日本にいた頃もできるだけ家族や個人の時間を取れるような体勢を意識的に作ってはいました。
お昼休みに自宅に戻って、娘を沐浴させたり、家族で一緒に食事したり……。フレックス制度を利用して早めに出勤し、その分他の人よりも早く帰宅するようにもしていました。休出は (上司が私に依頼するのを躊躇する程) できるだけしないようにもしていました。
お昼休みに帰宅して昼食を取れるぐらい近所に住んでいたので、「何かあったらいつでも呼んで下さい」と言ってはいました。
日本では、意識的に実践しないとなかなかできず、それでも不十分でしたが、ニュージーランドでは、自然と実践できるような感じです。
ニュージーランドは移民国家と言って差し支えないでしょう。自然、多種多様な人たちとの触れ合う機会が増えます。
うちの娘の小学校のクラスは、19 名の生徒がいますが、出身地 (厳密には親の出身地・国籍) は見事にばらばらで、実に 15 もの異なる国の混合クラスになっています。
純粋なニュージーランド人と呼べる子供は、一割に満たないみたいです。
このような環境がどのように影響していくかは、正直なところ、まだ未知数です。ただ、これからの社会を生きていく上で、大切な経験になるのではないかと思っています。
無論、良いことばかりではありません。特に私の場合、最大のネックになるのが「英語」です。
何度も言っている気がしますが、私自身は英語が大の苦手です。
ニュージーランドに来てから 4 年以上経ちますが、英語の苦手意識、ぶっちゃけて言うと「可能ならば英語を避けたいという意識」がまだあります。こちらで生活・仕事していく以上、英語は切り離せないものなので、その意味で心理的負担はそれなりにあります。
ニュージーランドに来た時は、仕事もなく、英語も実用に堪えるとは言い難い状況でした。英語がネックとなって断られた会社も多くあります。
ニュージーランドには「好き」で来たわけですが、それを貫くために、自分の「嫌い」なものも同時に選択しています。
単に「好きを貫く」と、一言では言えないなぁと思いました。
とは言え、私の場合「日本という枠に囚われることなく生活するスキルを身につけたい」という希望は、何らかの形で外国語を選択しなくちゃいけないので、どのみち私にとっては茨の道なんですが……。
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