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英語力と海外生活 - 「留学で人生を棒に振る日本人」を読んで

留学で人生を棒に振る日本人―“英語コンプレックス”が生み出す悲劇

留学で人生を棒に振る日本人 (著・栄陽子、扶桑社新書) を読了しました。

読みやすい文体で、さほど厚くもないため、半日もかからずにさっくり読めました。

主にアメリカへの留学に関して重点を置かれて記述されています。ニュージーランドは市場が狭いせいでしょう、この本では名前こそ挙げられてはいますが、ほぼ触れられていませんでした。

とは言え、(学校のシステムは異なっても) 根本的な思想という部分では、基本的に一緒だと思いますので、ニュージーランドへの留学に関しても通じる部分があると思います。

私も詳しいわけではありませんが、ニュージーランドの学校のシステムはアメリカよりもイギリスやオーストラリアに近いと思います。イギリスやオーストラリアについては、この本でも多少触れられています。

とりあえず、ニュージーランドで生活している身から見た「留学エージェント」の姿は、大体こんなものだろうと思いました (もっとひどいぐらいに考えていてもいいかもしれません)。

この本は「留学」と銘打っていますが、留学という点に拘らず、「英語」という「道具」に対する姿勢について、頷ける点が多くあります。

言葉とは不思議なもので、母国語の力以上に外国語は伸びない、という特性があります。

留学で人生を棒に振る日本人 pp.52

私よりはるかに英語が堪能な嫁さんも常々同じことを言っています。

これは私にも当てはまっていて、私の日本語力は学歴 (大学院卒業) に相応しているかというと、首を傾げざるを得ません。

英語に限らず、日本語の使い方についてもよく嫁さんに指摘されます。私の場合、英語力が低いというより、言語力そのものが基本的に低いと感じています。

この本でも触れられていますが、英語 (外国語) の学習時期についても参考になると思います。個人差が大きくあるので、断言はできかねますが、英語 (外国語) を学び始めるのは早ければ早いほど良いというのは、正しいとは思えません。

「英語を学びたい」「英語がしゃべれるようになりたい」と一度も考えたことのない日本人は、たぶんいないのではないのではないでしょうか。

留学で人生を棒に振る日本人 pp.171

私の場合、考えたことがないという言うとおそらく嘘になってしまうような気がします。

そういう気持ちが全くなかった訳ではありませんが、先にも言ったとおり「学びたい」よりも「できれば避けたい」でしたし、「しゃべれるようになりたい」よりも「しゃべれる人がうらやましい」でした。

うらやましいというか、恨めしいって感じでしょうか。「うらやましいから自分も」とはならずに、「自分にはちょっと無理」とか「元より才能がない」というような諦めに近い意識があったような気がします。

実のところ、英語を勉強したときに得られる達成感は、数学や物理を勉強したときに得られる達成感よりも私にとってはるかに低いものだったという面も大きかったのではないかと思います。「英語ができないと」という切迫感もなかったので、優先度が低かったのだと……。

ところが「英語力は武器になる」と考える人達は、どうも英語力がありさえすればステップ・アップが叶うと信じているようですが

留学で人生を棒に振る日本人 pp.172

英語力がありさえすればステップ・アップ」というは、実感としてほとんどないと言って差し支えないような気がします。

もっとも、相応レベルの英語力は「あって当然」という雰囲気を感じたことは多くあります。

海外では「英語力のレベルよりも、あなたは何ができるのか」が問われます。

留学で人生を棒に振る日本人 pp.172

だと思います。実際、私が勤めている会社では、英語力よりも技術力のほうを優先的に評価されます。

英語力に関して、ネイティブスピーカーより明らかに劣る私が、その他大勢のネイティブスピーカーに混じってやっていけているのは、そうした面を評価してもらっているからだと思います。

「英語は大事、けれども一番ではない」と英語圏で生活してきて実感しています。

実のところ、英語が堪能というだけでは、他人と英語で対話することはできないと思います。

例えば、子どもの話題をするにしても日頃から子どもと接していないとそもそも子どもの話題をすることができません。逆に話題に対して大きく関心があれば、英語が少々できなくても十分に対話することができるという場面は多くあると思います。

まだ海外生活に関してはひよっこな私ですが、そんなことをちょっと感じました。

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