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プリンでマネジメントを思考する

ここ半年近くになるでしょうか、ほぼ毎週「プリン」を作っています。

カラメルソースを作る

下準備にカラメルが必要です。クックパッドの「カラメルソース」より。

このレシピの分量だとプリン 3 回分になります。つまり、カラメルソースは三週に一度のペースで作ることになります。

  • 水 : 100 ml
  • グラニュー糖 : 200 g
  • 熱湯 : 100 ml

グラニュー糖は「Caster Suger」というややきめの細かいものを使っています。日本だと何と呼ばれるんでしょうか。

最後に熱湯をかけるのですが、その時、派手な音と共に蒸気があがります。そこそこの温度なので、蒸気で火傷しないように注意。最初の頃、二度ほど火傷してしまいました。

プリンを作る

クックパッドの「あっというまにプリン(圧力鍋使用)」を参考にして作っています。

  • 牛乳 : 500 〜 550 ml
  • ブラウンシュガー : 40 g
  • 卵 : 3 個
  • バニラエッセンス : 数滴

[写真]ホームメイド・プリン 材料

元のレシピでは、小さめなコップのようなガラス容器を使っていますが、うちでは分量がまるまる入る程度のガラスの耐熱容器ででっかく作ってしまいます。

[写真]プリン作り STEP 1 ガラスの容器にカラメルソースを注いでおきます。圧力鍋に 200cc 程度の水をいれ、付属のスノコを置き、ガラス容器をその上に置きます。
[写真]プリン作り STEP 2 牛乳に砂糖を加えて軽くかき回しながら温めます。
[写真]プリン作り STEP 3 卵をボールでとき、温めた牛乳を加えて、泡立て器で手早く混ぜます。
[写真]プリン作り STEP 4 バニラエッセンスを加え、カラメルソースの上からゆっくりとザルでこしながら注ぎます。
[写真]プリン作り STEP 5 加圧を開始します。加圧の弱いほうで、リングが上がって 2 分。
[写真]プリン作り STEP 6 火を止めて、蓋をしたまま放置。1 時間から 2 時間程度経ったら、取り出して冷蔵庫へ。

「リングが上がって 2 分」とあるのですが、実のところ、うちではあまり安定した出来になってくれません。

うちではフィスラー (Fissler) 圧力鍋 ロイヤル 6L という圧力鍋を利用しています。

季節や室温にもよるんでしょうか。圧がかかり始めるのが 7 分弱で、そこからリングが上がるのが 1 分 20 秒程度。そこから計時して 2 分になるようにするのがいいみたいです。

場合によって、7 分よりも前に圧がかかり始めてしまう時もあって、その時はゆるゆるのプリンになってしまいます。早めに圧がかかってしまった場合には、リングが上がって 2 分ではなく、もう少し時間を調整する必要があります。

毎週作る

最初のうちは「気が向いたら」程度の頻度だったはずなんですが、気がつくと、いつの間にか習慣となっていました。

プリンを作るのは案外楽しいです。

でも、どうして「楽しい」と思うのだろう、どうして毎週作っていて飽きないんだろうと考えてみると、二つの大きなポイントがあるような気がします。

出来が安定しない

分量はほぼ毎回一緒なので、味自体はそれほど大きくは変わりません。

ただ、プリンの「おいしさ」を決定づける重要な要素に「硬さ」があります。

先にも述べたとおり、これが結構ばらつくので、なかなか試しがいがあります。何度か「ゆるゆるプリン」になってしまい、それ以後、室温・圧がかかり始めた時間などを記録するようになりました。

適度な硬さで、「す」が入らない状態が理想なのですが、なかなか難しいです。

家族の反応

嫁さんも娘も毎回毎回「おいしい」とすごく喜んで食べてくれるのですが、その喜び方が半端なく上手なんです。

毎回幸せを撒き散らすかのごとく、満面の笑みを浮かべながら味わってくれます。

こうなると、その喜んだ姿が嬉しくて、プリンを作る気力が自然と湧いてきます。

「プリン」作りというのは、私にとって

  • (出来が安定しないことから) 改善の余地があり「試しがいがある」と感じる
  • 十分なフィードバックを得ることができる

タスクであるわけです。

フィードバックを与えてくれる嫁さんと娘は、顧客でもありますが、プレイヤー (私) を評価するマネージャーとも言えます。

身近なところでマネジメントのヒントを与えてくれた「プリン作り』は、私の大きな財産になっているような気がします。

[写真]ホームメイド・プリン

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我ながら頑張った

KLab×はてな エンジニア応援ブログコンテストという企画があったので、ちょっと便乗して自分語り。

武勇伝というと大げさですが、私にとってチャレンジだったことをいくつか。

  • 海外で働きはじめた
  • 「死んだ」プロジェクトを復活させた

これまでに記載した内容と重複する部分もあります。ご了承ください。

日本を出るという選択

おそらく私にとって今のところ最も大きな転機は、やはり「日本を出て海外で働きはじめた」ことでしょう。

最近「パナソニック採用の8割外国人」や「楽天・英語が出来ない役員は…… (三木谷社長インタビュー)」でニュースになったり、「死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界」という記事を読んだりしたので、それと若干絡めて。

実のところ、これまでにも散々言ってきたように、英語が大の苦手で「海外で暮らす」ことが自分にとって選択肢になり得るとは、その当時思っていませんでした。

楽観主義であまりに計画性のない私をしっかりと支えてくれたのは嫁さん。移住に関しては、案外あっさりと決断してしまったような気がするのですが、綿密な情報収集と現状分析に関しては嫁さん抜きでは無理でした。

ニュージーランドの永住権を取得するためには IELTS という英語のテストで、ある基準をクリアする必要がありましたが、嫁さんの用意周到な準備のおかげで、私は IELTS の勉強だけに集中していたとも言えます。

「日本を出て海外で働く」というと人によってはものすごい前向きな挑戦のように感じる人もいるかもしれません。

私の場合、その当時住んでいた場所から「物理的に距離のある場所」で暮らさないと精神的にきついと思った……簡単に言えば、「逃げ出したかった」という面があったことだけは書いておかないといけないと思います。

ある意味切羽詰っていたので、思い切った行動を取ることができたのかもしれません。

就職するまで

ニュージーランドの永住権を無事取得し、実際に移住する前に一週間ほど下見旅行に行きました。

下見旅行では、就職活動の事始めとして幾つかのエージェントにコンタクトしてみましたが、私のつたない英語では、会ってもくれません。数名のエージェントと電話越しに話しましたが、相手が何を言っているのかよく分からない。

一人からは呆れたように「あなたの英語ではニュージーランドで働くのは無理」とはっきり言われたのだけは覚えてます。

結局就職活動以前の問題で、当面は英語を鍛えるのを第一に考えることにしました。移住してしばらくは語学学校に通ったり、地元のコミュニティスクールに通ったり……。

最初の三ヶ月は本格的に就職活動はしていませんでしたが、たまたま通学していた英会話学校では、移民向けの就職活動に力を入れていて、そこで知った移民向け就職セミナーなどは参加していました。

就職活動に本腰を入れるようになってからは

  • 新聞などの求人広告に目を通す
  • ウェブ上の求人サイトに登録する
  • 就職斡旋エージェントに会う・電話する
  • 会社に押しかけ、履歴書を置いてくる

などなど。

ニュージーランドには基本的にコネが全くない状態でした。とりあえず、上がってくる求人を嫁さんがざっくりリストアップして、その中から私が自分のスキルに関連した内容に絞り込んで応募するような作業を日々繰り返しました。

当時応募した会社は延べ数で 150 社以上になります。当時の風向きもあり、書類選考で落とされてしまって、まず土俵にも上がれないような感じでした。

面接のチャンスは突然やってきました。面接をしたい旨の電話がかかってきて、あれよと思う間もなく、決まってしまったような……。

最初の面接は、人事マネージャと開発マネージャとの面談。

技術的なバックグラウンドの確認はもちろんですが、どうしてニュージーランドに移住したのかなど、一般的な質問も……。どのぐらい話したのかほとんど覚えていませんが、一時間は話していなかったような気がします。ここで感触が良かったようで、確か次の面接の約束もしたような気がします。

二回目の面接は、技術面接。複数のシニアエンジニアを前に、プログラミングに関する技術問題を解きます。

基本的なアルゴリズムとそれに関するメモリ効率・計算量オーダーの理解など。C 言語のプログラマの募集だったので、C 言語に関する質問もありました。ホワイトボード・紙を使って説明します。

基本的な面接の流れは、今でもそれほど大きくは変わっていないようです (とりあえず、現在働いている会社では。他所の会社はよく分かりません)。

死ぬほど英語を勉強してきた方と違って、私は英語に関して半ば放棄していました。その分、技術的な方面に注力してきました。注力というか、ぶっちゃけて言うと、嫌いな英語を避けて好きなことをやってきたという感じ。

基本的に「モノ作り」が好きで、プログラミングはソフトウェアという「モノ」を作るために必要なツールの一つでした。幸運なことに世界で主流になってるほとんどのプログラミング言語は世界で共通です。

なでしこMind など現在現役で利用されている日本語で記述可能なプログラミング言語も存在します。日本語で記述可能なプログラミング言語というと、どうしても「ぴゅう太」を思い出してしまう、そんなベーマガ読者だった私、というのは余談です。

「プログラミング言語」は、ある種の強力な世界共通の言語です。英語を話せる人は世界にごまんといますが、プログラミング言語を理解し、記述する能力のある人は、まだまだ少ないと言えるでしょう。

幸い日本はプログラミング言語を学ぶ環境が充実していると思います。英語以外の言語で日本語ほど技術文書が手に入りやすい言語はあまりないような気がします。

もっともそれ故に英語の技術文書を読んだ時にすっと頭に入ってこなかったりするんですが……。

エンジニアとして

ソフトウェアエンジニアとして海外の現地会社に就職することができました。

英語の能力はもちろん必要で、それを向上することもきっちり求められましたが、それ以上に技術的なスキルが重要であるというのがはっきりしています。

携わったのはコンシューマ向け製品開発で、よりユーザーに近い部分を担当したことは、私にとって新鮮で刺激的でした。

思いついたアイデアはつたない英語で伝えきらないので、開発中のソフトウェアに組み込んで、プロジェクトマネージャやシステムエンジニアに直接売り込み。……「こんなのどう?」

あるプロジェクトでは、新しいユーザーインタフェースを作りこみました。

新しいインタフェースは、斬新でしたが、どうやって使うのか初見では分かりづらい。……そもそも説明が必要なインタフェースは、あまり出来が良いとは言えないのですが、スケジュール的に押しています。

ミーティング後、大体一時間ぐらいでしょうか、ちょっとしたヘルプをアニメーションで表示する機能を簡易実装して、システムエンジニアにデモンストレーション。その時のマネージャやエンジニアの笑顔は今でも覚えてます。

世界的なリセッションの影響は、辺境の地ニュージーランドにも襲いかかります。私の会社も影響を受けて、大規模なリストラがありました。

それまでにも何度かリストラはありましたが、その時は主要なメンバーもごっそりいなくなってしまうような大きなもの。社員は半数近くになってしまったでしょうか。今にして思うと精神的にきつかったみたいで、身体にもその影響がはっきり出たりしました。

リストラのあおりを受けて、進行中のプロジェクトも軒並み中止に。私がテクニカルリーダーとして進んでいたプロジェクトもキャンセルされました。

代わりにそれまで開発していたソフトウェアからフレームワークとなるライブラリ群を抽出して開発することになりました。

キャンセルされたプロジェクトは、個人でテクニカルリーダーを担当した初めてのプロジェクトなので、思い入れがありました。マネージャからは「your child」と言われたり……。

新しく担当したライブラリ群にはテスト用アプリケーションが必要で、キャンセルされたプロジェクトで使われた部分もそのテストアプリケーションの一部に組み込みで動作していました。一時、その部分は要らないから削除しようという話もありましたが、無理して削除することもないかとそのままに。

しばらくそのライブラリ群を担当していましたが、皮となるアプリケーションの仕様がうまくまとまらず、結局プロジェクト自体を見直す羽目に。そこで白羽の矢が立ったのが、キャンセルされた私のプロジェクトでした。

  • すでにアルファ版として、ベース部分は動作している
  • 主要部分をコーディングした私がいる
  • プロジェクトスケージュールがタイト

という理由だったようです。

自分で公開しないと決めたのならともかく、自分の作ったソフトウェアが日の目を見ないことほど悲しいことはありません。やはりとても嬉しかったです。実際、嫁さんもこの時は声が弾んでいたと言っていました。

「復活」が決まってからは、仕様策定に参加したり、コーディングはもちろん、全体の進捗管理、リソース管理も必要です。リソース不足でアイコンなども私が作ったり……(これまでも小さな UI パーツは作ったりしていましたが、 私がデザインしたアイコンなどが半ば公式的に採用されてしまったのは初めて)。

プロジェクト終わりかけで決まって出てくるやっかいなクラッシュバグなどもありましたが、どうにか予定通りにリリースできました。

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おうちにネコがやってきた

[写真]我が家にやってきたネコ。左からTimmyとTummy。

会社の同僚から子猫を譲り受けました。

やってきてまだ幾日も経ちませんが、どうにか徐々に我が家に慣れてきた模様。兄弟でのびのびと遊ぶ機会が段々と増えてきました。

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休暇明け

先々月から先月にかけて、五週間の長期休暇を取って、日本に帰省していました。

先週の土曜日にニュージーランドに戻ってきて、どうにか日常生活に落ち着いてきた感じです。

鮮度が落ちかけてしまっているのですが、日本滞在中の出来事を箇条書き。もしかしたら、後日詳細に触れるかもしれません。

五週間もの休暇を取ったので、ニュージーランドに戻ってから、英語が全然聞けなかったり話せなくなっているとか、仕事の勘が戻らないとか、心配していました。

けれども帰ってきてから、息つく暇なく忙しいモードに突入してしまって「休暇ぼけ」とか言ってられない状況に……。おかげで今回は案外すんなり適応できているような気がします。

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海外現地企業には休出はあるのか

あります。

少なくとも、うちの会社ではあります。現に先週と今週、休出してきました。

かれこれ 6 年以上、ニュージーランドの現地企業でサラリーマンしていることになりますが、今回だけなく、これまでにも数回休出をしたことがあります。

  • 頻度は年に数回。
  • 代休は 1.5 日分もらえる。
  • 昼食は上司が買いに行く。

プロジェクトの進捗や規模に応じて変わりますが、休出が必要と判断された場合には、大体 3~4 週ぐらい「休出のお願い」をする場合があります。大体半年に 1,2 回という感じの頻度になるでしょうか。

コントラクタ (契約社員) とパーマネント (正社員) で異なりますが、うちの会社では正社員に対して、休出に対する代休は 1.5 日分もらえます。

休出すると、ほぼもれなく昼食が出ます。休出時の昼食はマネージャ (チームリーダー) の仕事です。

チームリーダーになったので、買ってもらう側でなくて、買う側に……と言っても、費用は会社側で負担してくれますし、今回は嫁さんに頼んで買ってもらったりしたので、私はこれに関してはあまり何もしていないのですが……。

どの程度の人が来るかは、その時のプロジェクトの状況によるので、何とも言えませんが、ざっくばらんに言うと、開発の人で大体一割程度の人数が来るという感じでしょうか。

クロエ : 住みたいところに住める俺」にもある通り、元々それほど騒がしい職場ではありませんが、さすがに週末はそれに輪をかけて静かです。

私の場合、平日だと何かと自分の作業が中断されることも多いので、休出した時の方がはるかに作業が進んだり……。

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Re: 苦手な英語

英語に対しては激しい劣等感を持っていて、ずっとどうしても「やらされている」印象を根強く持っていました。

その「やらされている」感覚を、英語はコミュニケーションの方法のひとつで「世界観 (というと大げさですが) を広げてくれるツール」であると自分の中に落とし込むことができるかどうかが、私にとってポイントだったような気がします。

もっとも「世界観を広げてくれる!」といきなり悟りを開いたように認識できたわけじゃありません。

ニュージーランドへの移住を決意した後、マンツーマンの英会話レッスンを受けるようになったのですが、そこで「自分の話した英語が相手に通じた」という、ちんまい経験を何度か繰り返して段々と「英語というのはツール」なんだなと認識できるようになりました。

IELTS の総合スコアで 5.0 を超えるという具体的な目標があったのも良かったのでしょう。幸いなことに、その目標も (今にして思えば)「その当時の自分が精一杯背伸びをすればなんとか達成できる」という絶妙なレベルでした。

教室の外に出て日本語をしゃべると、その textbook style は日本人に笑われたもの

日本語を学んだアメリカ人が語る、日本人が英語が苦手な理由 @ ArtSaltのサイドストーリー

日本にいた頃は、英会話レッスン・英語の授業・英語の試験など「さぁ英語を話しましょう」という場でしか英会話の機会がありませんでした。先生もこちらのレベルを知っているので「笑われる」という機会は皆無といってよいでしょう。

ニュージーランドに来てから就職活動をしましたが、「あなたの英語のレベルでは (就職は) 無理」と何度かはっきりと言われたことがあります。日本語を話す外国人は少数ですが、英語はそうではないので、笑われる以前という感じでしょうか。

就職してから私の英語が笑われたことは何度かあります。印象に残っているのは……

  • 「おそらくそう」というニュアンスのつもりで「maybe」と言ったら「maybe!!!???」と笑いながら返されました。「maybe」だとかなり自信がない印象を与えるようで、それ以後「probably」を使うように……。

    最近では「could be」「should be」「presumably」「probably」「surely」「maybe」など何となく使い分けるようにしています (何となくってところが頼りないですが)。

  • 書類が束になったアイコンを指して「like a pile」と書いたら笑われました。pile だと乱雑に積み重ねた「書類の山」のような印象があるようで、私のケースだと「like a stack」といった方がよかったようでした。

でもこのような経験から得たものがあります。学校の教育だけではじゅうぶんではありません。私は教室から外に出て日本語を聴き、話す機会をつくりました。変な誇りを捨て、バカなことをしゃべろうとしました。笑われようとしました。特に最初の数年間は。笑われる不快感は重要ではなく、日本語を話す訓練が重要なのだ、と気づいたのです。

日本語を学んだアメリカ人が語る、日本人が英語が苦手な理由 @ ArtSaltのサイドストーリー

基本的に一杯一杯なので、笑われようとしたという余裕もなかったような気がします。

ただ、伝わらないと仕事にならないという危機感みたいなのはあって、そういう意味では英語にこだわらず伝えようとしたというのはあったかもしれません (例えば、図を使ってみたり、コードを見せたり……)。

「恥ずかしさを克服しよう。最初のうちは間違ってもいいからバンバン英語をしゃべり、書きまくろうぜ!」ってことだよ。

日本語を学んだアメリカ人が語る、日本人が英語が苦手な理由 @ ArtSaltのサイドストーリー

うちの会社は色んな国の人がいて、むしろネイティブの方が少なかったりするぐらいの勢いです。そういう環境で皆が英語を使うので、多少の英語力の違いは全然意識されません。

ネイティブじゃないんだから多少駄目なのは別に構わない (開き直りとも言う)。

でもやっぱり量をこなすのは効きます。就職してからというもの、基本的には毎日何かにつけて英語に数時間単位で触れるようになりました。

まだ、ミーティングなど英語に集中する必要があるとかなり疲れはしますが、以前に比べて、(英語に対する) 恐怖感や劣等感は薄らいでいるような気がします。

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もらったプレゼントは……

先日誕生日を迎えました。

そう言えば、うちの家族は毎年同じ曜日に誕生日を迎えます。例えば、私の誕生日が火曜日なら他の二人の誕生日も火曜日。

近頃、身辺がばたばたしていて (年末に予定していた帰省もキャンセル)、家族を振り回しっぱなしの状態。そんな中でも何かと支えてくれていつも感謝の念に堪えません。

うちでは誕生日に外食するのが慣例になっています。当人の希望でお店を決めます。

今年はなんとなくイタリアンがいいなぁと思って、PORTOFINOというお店に行ってきました。

[写真]Spaghetti Alla Bolognese

[写真]Chiken Fettechine

[写真]Pizza Prosciutto

頼んだのは、ミートソーススパゲティ、チキンフェットチーネ、プロシュットピザ。

どれも想像していたよりもチーズっぽさを感じませんでした。もちろん、チーズは使われていて味や香りはするんですが、あくまでも引き立て役。

フェトチーネは平たい麺なので、ソースが若干絡みにくくて、濃いめのソースに仕上がっていることが多い印象がありました。それが結果として「くどさ」になったりすることもあるんですが、頼んだキチンフェットチーネはそのような「くどさ」もなく (かといって「あっさり」でもない) バランスよく仕上がっていました。

「あぁ、満足満足。わたしゃこんな素敵な家族と一緒に過ごせて幸せもんだよ」と幸福感に浸っていたのですが、帰宅してから更なるサプライズが……。

……

…………

………………

どど〜ん!

[写真]2009 年の誕生日プレゼント

リクライニングチェアではないですか!

足置きまであるよ。……それを「オットマン」と呼ぶのだと知ったのはついさっき。

……っていうか、一体どこに隠していたんですか。「もしかしたら、気付かれていたかも思っていたんだけど」と嫁さんは言っていましたが、全く気付きませんでした。

本当にありがとう。

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働くおじさん

今月の頭から二週間ほど冬休みに入っている娘は、お友達がスリープオーバー (お泊まり) に来たり、逆にお友達の家にお泊まりに行ったり、崖の上のポニョを見たり……とイベントが色々ありました。

残念ながら、ここ数日、風邪を引いてしまい、いくつかの予定はキャンセルになってしまいましたが……。今回は娘・嫁さんばかりでなく、私も風邪を引いてしまいました。会社を病欠したのは三年ぶりぐらいでしょうか。

そんな冬休みのイベントのひとつに「会社に来て、私の働いている様子を見学する」というのがありました。「会社見学」という奴になるんでしょうか。

かねてより自分の働いている様子を子供に見せてあげたいと思っていました。

私の場合、汗かいて働くタイプの仕事ではなく、端から見ると単に PC に向かっているだけに見えなくもありません。私は自宅でもプログラミングで PC に向かっていることが多く、それとの「違い」が分かってくれるかどうか、若干不安はありました。

それでも会社での「雰囲気」は明らかに自宅のそれとは異質のものですし、最近は周囲から質問や要望を受けることもよくありますから、単に PC に向かっているだけということはありません。そこら辺が伝わってくれればなぁ、と。

上司に訪ねたところ、全く問題なくすんなり許可をもらったので、娘を連れてくること自体は特に問題はありませんでした。

ただ、私は基本的に仕事をしているので、娘の相手にかかり切りになる訳にはいきません。丸一日もいれば、確実に娘が「飽きて」しまうでしょう。朝 10 時頃からお昼を挟んで 14 時頃まで、おおよそ半日、いてもらうような形にしました。

デュアルモニタ (デスクトップ PC) + 外付けモニタ + ラップトップ PC x 2 という (5 つものモニタが並んでいるように見える) 豪華な環境は、娘にもインパクトがあったようで「格好いい」と一言。「お父さん」は鼻高々です (でも、ほとんど会社のものであって、自分のものではない)。

基本的には普段とあまり変わりなく仕事していましたが、娘にはどう映ったか……。周りに同じように働く人がいて、協力して仕事をしているとことが分かってもらえたような気がします。

「今日の (会社見学の) 中ではどれが一番興味があった?」と娘に聞いたところ

(会社でタダで飲める)「ホットチョコレート!

と答えていたのはご愛嬌。

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Re: 海外で働いている人の体験談募集

今回は渡辺千賀さんの話題に便乗。

もう一声、で経験談募集!

On Off and Beyond: 海外で働いている人の体験談募集

[2005.05.15 追記] 嫁さんから「具体例がなくて、あまり参考にならないよ」と指摘されたので、一部追記しています。あとで嫁さんからのフォローもあるかもしれません嫁さんからフォローしてもらいました

今いる国

ニュージーランドってもしかして穴場?

On Off and Beyond: 今度はシンガポール

と言われた、ニュージーランドです。

最近、ニュージーランドドルがめっきり弱くなって困ってます。

今の勤務先の業種・本社所在地

オークランドにある現地企業に勤めています。自宅から歩いて 10 分弱。

私が就職した頃は、純粋なニュージーランド企業でしたが、現在はアジアに本社を置く国外企業がオーナーになっています。

今している仕事の職種

ソフトウェアエンジニア。別の言い方をすれば、プログラマです。

最近はテクニカルリーダーとして、プロジェクトの進捗管理などもやることがあります。

今のワークライフバランス(仕事時間、私用の時間の取りやすさ、休暇の取りやすさなどなど)

これについてこれまでも何度か触れています。

辺りがその話題になるでしょうか。

休暇は取りやすいと思います。有給休暇とは別に病欠枠があるので、病気のために有休を「取っておく」ようなことはする必要がありません。

そう言えば、先日「休暇を取るように」と催促されました。私自身は有休を適度に取っているつもりだったのですが、休日出勤の代休などがあって消化しきれていなかったようです。

今年の年末に休暇を取る予定だったので、取ってあったという背景もあったのですが、計算してみたら、そこで休暇を取ってもまだ残っている様子。

消化しきれない休暇は清算 (pay pff) してもいいよとのことだったので、一部の休暇を清算しました。日本では使い切れない休暇は消えてなくなるのが「当たり前」だったので、これには少し驚きました。

[2005.05.15 追記ここから]

8:00 - 17:00 が基本的な勤務時間です。出勤時間に関してはそれほど厳密ではありません、実際 8:00 に来てない人も多いです。

頻度はそう多くはありませんが、プロジェクトの状況によって、残業・休日出勤をお願いされる場合もあります。年俸制で残業代はありませんが、休日出勤に関しては代休が 1.5 日分ついたりする特典 (?) がある場合があります。

家の用事がある場合、予め伝えておけば、自宅で仕事をすることも可能です。

[2005.05.15 追記ここまで]

今の生活環境(住環境、リクリエーション、生活コストそのたもろもろ)

う、生活コスト……。恥ずかしながら、家計は嫁さんに任せきりで、あまり把握していません。

少し前に持ち家を購入、ごく最近改築を終えました。改築に関しては「リノベーションは楽じゃない 総集編 - リビング・ダイニング」より関連記事を辿れます。古い家なので、これからも定期的なメンテナンスは欠かせません。

日本でしていたこと(差し支えない範囲で学歴・職歴。固有名詞でなくてよいです)

九州工業大学・大学院を経て、大手電機メーカーに就職、携帯電話関係の開発に従事していました。

基本ソフトウェア屋さんでしたが、ややハードよりな設計もやったことがあります。

ちなみに進学先として、九州工業大学を選んだ大きな理由のひとつが、二次試験に英語がなかったことです。蛇足ながら、TOEIC は一度 500 点を超えただけで、ずっと 400 点もしくはそれ以下でした。

今いる国に来た方法

飛行機で……。って、そういう「方法」じゃないですよね、きっと。

書面で永住権を申請・取得して、ニュージーランドに移住しました。

私が永住権を取得した当初に比べ、現在は永住権取得の敷居は若干上がっているようです。

[2005.05.15 追記] ジョブオファーなどはなく、ニュージーランドに来て最初の 3 ヶ月は語学学校に行き、それから就職活動しました。

今の仕事に就いた方法

今の会社には、メールで応募した他、直接訪問して履歴書の手渡しもしたと思います。

しばらく何の音沙汰もなかったのですが、突然電話がかかって来て、面接が決まりました。

実は電話がかかって来たときはトイレにいたというのは、今となってはいい思い出です。

[2005.05.15 修正ここから]

私の場合、面接は計二回。うちの会社では、技術者に関して言えば、一般的なケースになると思います。

最初の面接は、開発のマネージャークラスの方と人事の方を交えた面接です。この面接では、技術的な内容は具体的に聞かれません。

二回目の面接は技術面接です。複数のシニアエンジニアを前にして、プログラミングに関した技術的な質問について答えるという内容でした。いつもと異なる環境でプログラミングを行う形になるので、どのような形式なのかを (最初の面接で) 把握しておくと、手助けになると思います。

[2005.05.15 修正ここまで]

当時は 150 社以上に応募しました。現地の就職エージェントにも何度か足を運んだり、メールを出したりしました。

結局、就職エージェントを通さなかった今の会社に採用が決まりましたが、当時にお世話になったエージェントのひとりは、今でも友人として付き合いがあります。

[2005.05.15 追記] 就職活動をしていた期間は 3 ヶ月以上でしょうか。

日本から今の国に来る時に用意した資金とその調達方法(借金・奨学金などは、差し支えない範囲で、どこからいくら位)

私が永住権を申請した当初は条件がポイント制になっていて、その中のひとつにニュージーランドドル 10 万ドル分で 1 ポイントという条件がありました。

ですから、当初のレートで 10 万ニュージーランドドル分、貯金しました。

ニュージーランドに移住する数日前まで働いていましたので、基本的には働きながら海外での生活を計画していたという形になります。

今いる国で日本人がゲットしやすい仕事にはどんなものがあり、その職種につくための良い方法はなにか

ワーキングホリデービザを利用すれば、ジャパニーズレストラン (通称、ジャパレス) などにバイトとして入るのは簡単だと思います。ただし、「海外経験」として、役に立つかどうかは分かりません。

「きちんと」働くのでしたら、やはりワークビザをもらって仕事をするのが基本になるでしょう。

日本系の会社だと「ビザサポート」を餌 (?) に安い賃金で働かせるというような噂を聞いたりもしますので、個人的な経験では、あまり「日本人」に頼らない方がいいような気はします。

とりあえず、私の職種 (ソフトウェアエンジニア) に関して言えば、うちの会社では英語の能力よりも圧倒的に技術力重視です。ですので、英語よりも技術に注力した方が就職しやすいような気がします。

[2005.05.15 追記ここから]

世界的な不景気のあおりを受けて、ニュージーランドでも失業率が上昇しています。うちの会社も影響ありました。

ただ、うちの会社に関しては、ここ最近になってまた技術者の募集をかけています。二、三年前に比べると厳しい就職状況であるのには変わりませんが、「人材が足りない」と思っている会社は確実にあります。

日本でもそうだと思いますが、ニュージーランドでは「現地での仕事経験」が重視される場合があります。「コネ」などがない場合には、絶対突かれるポイントのひとつです。

オークランドのある大学では「Business English」という就職を前提とした外国人向け英語コースがありました。「現地企業へのインターン」がコース内容に組み込まれていて、そのようなコースに参加することで「現地での経験」を積むというのは選択肢の一つとして挙げられます。私も参加していましたが、コース途中で今の会社に採用が決まったので、修了できませんでした。

[2005.05.15 追記ここまで]

今のご自身の仕事で雇用に際しての年齢の上限はあるか。今いる国で一般的にどうか

年齢制限はありません。しちゃいけないんじゃなかったかな。

実際、うちの会社にも結構歳いってそうな人いますし……。一般的なことは正直分かりません。他の会社の様子とかもあまりよく知らないので。

その他ご自由に……

長くまとまりがありません、その癖、言葉が足りない感じがひしひしとします。

最後にこれまで書いた関連記事を挙げてお茶を濁しておきます。皆様の参考になれば、幸いです。

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移民国家なニュージーランド

今度はたかしまさんの話題に便乗。

今まで仕事やらなんやらで、知り合いになった人の国籍をリストしてみる

Waimangu: 外国で働くということ その2

私がこちらに来てから知り合いになった人の国籍 (出身地) をリストアップしてみました。

抜けている国もあるかもしれませんが……。

  • ニュージーランド
  • オーストラリア
  • トンガ
  • アメリカ
  • カナダ
  • アルゼンチン
  • イングランド
  • スコットランド
  • アイスランド
  • フランス
  • フィンランド
  • ドイツ
  • クロアチア
  • ロシア
  • ケニア
  • ザンビア
  • 南アフリカ
  • 日本
  • 中国
  • 韓国
  • 台湾
  • マレーシア
  • インドネシア
  • カンボジア
  • インド
  • スリランカ
  • フィリピン
  • イラン

さらに現在私が配属されている開発チームは 15 名で、その内訳を見ると……

  • ニュージーランド 2 人
  • イングランド 3 人
  • スコットランド 1 人
  • クロアチア 1 人
  • フィンランド 1 人
  • マレーシア 1 人
  • インド 1 人
  • 中国 2 人
  • 日本 1 人 (私)
  • 台湾 1 人
  • ザンビア 1 人

のようになります。こうして見るとばらばらです。なお、出身大学の所在地という括りにすると、ニュージーランド比率は若干上がります (それでも 1/3 程度)。

ちなみに部署全体だと出身地分布図のような感じになっています。

職業としてコンピューターの技術者は多少英語がへたくそでも、なんとかなるような気がします。

Waimangu: 外国で働くということ その2

上述の通り、各自の出身地がばらばらなので、英語の発音などもばらばらです。英語の「下手さ」は、私の出身地の特徴であるいうことにしていいんじゃないか……とは思っていませんが、実際、自分が気にしているほどには、他の人は気にしていない印象もあります。

書いたコードが動けばOK

Waimangu: 外国で働くということ その2

に関しては、若干意見が異なります。

もちろん、「ちゃんと動く」ことはもっとも大事なことのひとつですが、読みやすいコード・メンテナンスしやすいコードという点に関してもかなり重点を置いています。

英語が苦手な分、コードは私の言葉を補う最大の武器でもあるので、「読みやすい」という点は重要だと思っています。

うちの会社では、コードレビューという形で、自分の書いたコードを他の開発者に説明する必要があります。何を持って「読みやすい」とするかは人それぞれなので、明確な基準はないのですが、「読みづらい」かもと思った場合には、正しく動作するコードでも直してもらう場合があります (もちろん、正しい動作はそのままに)。

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